京都検定でも毎年というぐらい登場する問題がこの「疎水事業」ですね。今日はわかりやすく端的に解説させていただきます。
もっとも名前が良く出るのが北垣国道第三代京都府知事と工事を担当した田邊朔郎さん。京都が東京へ遷都されて、そのあと京都そのものが衰退し、疲弊する時期もあったらしく、どこかの新聞で読んだのですが、京都の人口が2/3まで減少したとも聞きました。そこで当時の北垣知事は疎水事業をおこなう計画をして、その考えに賛同した当時工部大学(現在の東大)を卒業したての青年技術史(21歳)が登用されたそうです。
どうして、事業をするのかといえば、灌漑用水、飲み水はもちろんのこと、滋賀から水をひいてその水量で水力発電をし、電力で電車をはしらせて京都の活性化、産業を盛り上げる。。端的にいえばそういう感じですね。
ところが、そのころの日本はやはり海外の設計士などに頼っていて国産の大土木工事は海外の設計監督に委ねていた現状があり、それでは一度日本人の手でやってみようかとなったらしいです。そこでできたのが琵琶湖疏水であり、その水を利用した傾斜鉄道などの運搬も付随して行われたということです。そのあたり現地にいってきたのでご紹介いたします。また南禅寺もすこし登場いたします。
地下鉄蹴上駅がもっとも理想的な最寄りの駅です。いきなりインクラインの下を通っていくわけですが、これが「ねじりまんぽ」。妙な名前ですが、当時はねじれたトンネル(まんぽ)と呼んでいたそうです。ねじれはもっとも頑丈な積み方らしく、理想的なものだそうです。
未知との遭遇。。。
確かにねじれています(#^.^#)
絶景かな!絶景かな!
もう有名な「楼門五三桐」の二幕返しのみえですが。。。。実際は石川五右衛門が亡くなってから30年後ぐらいに建てられたものだそうです。南禅寺はもともと鎌倉時代は亀山法皇の別荘、禅林寺殿があったそうです。ところが物の怪がでてきて女官たちをおびえさせたことがあり、祈祷や物の怪胎児の専門家に頼んでもおさまらず、最終的に無関不門(大明国師)に頼んで、禅の修行を見せつけて退散。その時にお寺としてのスタートをきったわけです。その国師がその時に亡くなられ、次に引き継いだそえん禅師が南宋禅に傾倒していたので「南禅寺」とあらためたと聞きます。
京都が一望できますが、実はこの反対側の裏絶景もすばらしですね。仏殿の役目もかねそうなえた法堂、そして御所から移築した大方丈も少し見えます。まさにもうひとつの絶景なのかもしれませんね。
5間3戸、禅宗門は三門といって三つの解脱を意味します。空門、無そう門、無さ門が扉のある空間の3つの入り口をあらわします。楼上は宝冠釈迦如来、16羅漢、そして狩野探幽ともうひとり。。参加で天井絵もあります。
そして水路閣があります。建設当時は賛否分かれていて、お寺の敷地内ということで心配されたとのことを聞きます。ただこの事業には京都の将来がかかっているので、お寺側も協力されたのではないかなあと思っています。
古きよきもの、南禅寺。新しきよきもの、水路閣。いまはこのようになじんでいています。新しいものも古いものに抱かれて存在するように思います。
写真を撮る方が多いですね。ドラマのシーンでも有名で、殺人事件の密会、黒川の手帳(笑)そして恋愛ドラマの。。。。様々な場面で採用されています。その優雅なたたずまいはローマを参考して作ったこの赤レンガの造形に浮き出ています。そうあの私も伺ったフランスのポンデュガールのローマ橋と同じ近代文化の活性化にやくだっています。
1991年の私です・・・・あの規模がちがうかもしれませんが水路閣は京都でも活躍しています(^^)
話もどりますが。。。
やっぱりなじんでますね♪みごとに調和しています。
いまは上った右側から見ることはできませんが、下流からなら見られます。哲学の道につながるトンネルも見れますよ。左は娘(^^)
そのあと方丈のある門を確認。これが南禅寺の正式な玄関です。右隣が拝観口で庫裏とも言われていますね。
さて、これから子供達と疎水公園へ行きますが。。。コツがいります。一番簡単なのはねじりまんぽの南側の歩道を西へ行ってインクラインと同じ高さになったところから入ります。もうひとつはどうなのか。。。。ねじりまんぽの南側から東へはいるのですが、ここは入っていいのか不明な入り口です。狭くてある程度ふさがれてます。。
これがインクライン、傾斜鉄道の跡です。いまは観光資源になっていますね。
これは噴水。めずらしいです。
これが疎水工事で亡くなられた人々の慰霊碑。多くの努力と犠牲がこの疎水事業をなしとげたのでしょうね。当時は大変な大土木工事だったのでしょう。
こういう立札がたくさんあります。
水路の土管のオブジェで一旦休憩の子供。
そしてこちらがインクラインの上の部分。ちなみに2機あって上下するのに同時に動きます。その綱は最初は水力の風車で上げる予定が、発電所ができてから電力モーターでまわすことになったようです。かつては40Mの断崖だったのですが、これができて荷を下ろさずに京都へ船をすすめられます。
これはなんとかいてあるのでしょうか。。。
分水付近です。これはめずらしいです。
鴨も元気に。
これが水力発電への分水。
そして、北垣国道さんの京都府に登用されたのが若き田邊朔郎さん。当時はまだ工部大学をでたところで疎水事業に興味をもとからもたれていた経緯があったそうです。それこそそのころを考えれば異例の出世なのかもしれませんね。こちらで疎水事業をみまもり、その後は別の地域の土木事業にも尽力されたと聞きます。このおふたりがキーパーソンですね。
ここにはなんと視力発電所は世界で2番目とかかれていますが、あとで疎水記念館の方にお聞きすると2番目かどうかは定かでないそうです。ただ日本では初の水力発電所だったことは確かです。
趣ある建物。これはおそらく浄水場でしょうね。
遠く、京都を見ておられます(^^)
ちなみにこの桜、疎水記念館に聞いてみると。染井吉野、かんせつ桜とお聞きしました。2種類あると。
向こうには噴水と動物園。実はインクラインから疎水記念館と動物園はうまくつながっていますので是非のぞいてくださいね。
右側がベルトン式水車。こんな貴重な資料があるのが疎水記念館。是非お立ち寄りくださいね。これでツアーは終了ですが、普通に歩いても2時間ぐらいかかるかもしれません。京都検定を受ける方は是非いってみてくださいね。新旧素敵な南禅寺界隈どうぞお楽しみを!